日本人の両親を持つアメリカ人木匠ジョージ・ナカシマによる自伝「木のこころ 木匠回想記」の読書レビューです。繊細でタイムレスな名作家具(特にイス)を生み出した木工作家が、自身の生い立ちや住まいと仕事の遍歴を記し、創作の哲学を熱く注ぎ込んだ名著。読むと一層、ジョージ・ナカシマの家具が欲しくなる魔書でもあります。笑
SD選書178
日系アメリカ人2世 ジョージ・ナカシマ
1964年生まれのジョージ・ナカシマ。日本人の両親から生まれ、ワシントン州のシアトルで育ちました。ワシントン大学で森林学を、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学で建築学を修めました。
卒業後はパリ、東京、インドと世界各地を放浪したのち、アメリカに帰国。永住の地であるニューホープに腰を落ち着け、本格的に家具製作をはじめました。
戦争中は日系人のため家族で収容所に入るなど苦難の時代がありましたが、後の人生を支える転職としての家具制作は、その収容所で出会った家具職人に教わったということです。
人生、どこでどんな転機があるかわかりませんね。
家具職人=木工作家となる前は、建築家として世界各地で活躍しました。東京では、伝説的なお雇外国人アントニン・レーモンドの事務所でも働いていました。レーモンド事務所では、前川國男や吉村順三、そして若き日の丹下健三と机を並べていた(!)ようです。伝説感がすごい。笑
特に吉村順三とはとても親しく付き合っていたようです。吉村順三は、ジョージ・ナカシマに日本のすばらしい多くの伝統的習慣を教えたと記されています。京都や伊勢の寺社をめぐり、箱根の温泉につかり、鴨長明の「方丈記」を二人で読む。日系アメリカ人のジョージ・ナカシマが生涯持ち続けた日本への憧憬は、吉村順三によって植え付けられたものでしょう。どこか日本的な雰囲気を持つ名作家具たちも、吉村順三がいなかったら生み出されることはなかったかもしれませんね。
ニューホープの家具工房
1930年代後半にインドから東京に戻ったジョージ・ナカシマは、マリオン(すみれ)と出会います。その後アメリカに戻ったのちに、シアトルで再開した二人は1941年に結婚しました。
その頃、アメリカ国内での視察旅行を通じてフランク・ロイド・ライトの仕事を見学したことが、その後の生涯の仕事となる木工作家を選び取ることにつながりました。
フランク・ロイド・ライトの仕事が、私を特に失望させた。確かに、使われた形態は興味深く、世界の建築界に対して刺激的効果はあると思ったが、しかし建築物の構造や骨組みはどうにも不適当で、また労働者の技能も偽物であると思った。私は、私が初めから終わりまですべてを統合できる、何か新しい職業を探し出さねばならないと思った。そして私は、私の生涯の仕事として、木工作業を選ぶ決心をした。
「木のこころ 木匠回想記」P84
収容所を出たのち、ペンシルバニア州で農場を経営していたアントニン・レーモンドのところに家族で一時的に身を寄せたのち、終の住処となるニューホープに到達。木工を生業とする者たちらしく、DIYにつぐDIYで、自宅や工房を作り上げていきました。
その後、ジョージ・ナカシマによるプロダクトは、ニューホープから世界中に送り出されました。金融機関を頼らず制作拠点を維持運営し、卸売会社を頼らず世界中の購入者へと家具を届けたジョージ・ナカシマは、ライフスタイルもDIY。最初から最後まで“自分自身の手で統合された”ライフスタイルを、終生貫き通したんですね。
ジョージ・ナカシマの樹木への想い
ジョージ・ナカシマの家具は、木への尊敬から出発しています。世界各地の素晴らしい樹木を目当てに、世界中を自らの足であるき、目で見て、材料となる木を集めています。生き物である木材は、さまざまな人生(木生?)の終わり方をします。レバノンのシーダー、イニョー国有林のブリスルコウン・パイン、日本の屋久杉は、さまざまインスピレーションをジョージ・ナカシマに与えました。ジョージ・ナカシマは、それらの一度生涯を終えた樹木に、家具という形で新しい生命を与えることに腐心し、時間をかけて誠実に技術を持って仕事にあたり続けました。
ジョージ・ナカシマは、それらの樹木のポテンシャルを最大限保てるように一次加工し、時を超えていつか家具となるにふさわしいタイミングが来るまで、ニューホープの工房の倉庫に注意深く保存しました。その中には、素晴らしい木目のなる高級材から、ともすれば廃材に見える大きなウロのある名もない木材まで、在庫は膨大な数にのぼったことでしょう。ジョージ・ナカシマは、それらすべての板が持つ品質と可能性によって、どう使うべきかを記憶していたということです。
それほどに、木材ひとつひとつは個性的で、ふたつと同じものは無いということなのかもしれません。
家具とは、イスとは、創作とは
仕事の対象は、人間の力の限りを尽くして、すばらしい一つの家具を作り上げることである。目的は使いやすさであるが、叙情的な性質も合わせ備えている。これが私の全デザインの基本である。
「木のこころ 木匠回想記」P84
私がジョージ・ナカシマの家具に魅力を感じる理由がこの言葉に詰まっています。
自然界から集められた、生気を失った木材を使って、かつて見たこともない、人間の世界を高揚させるような作品に組み上げ終えたとき、それは感動的な瞬間である。なぜなら、かくて樹木は再び生き返ったのだから。
「木のこころ 木匠回想記」P84
実用性や機能性を研ぎ澄ませていくと、結果的に美的にも洗練されたものとなる傾向は実際あります。ですが、ジョージ・ナカシマが目指したのはそういうことではなく、もっと個人的な、自分にしかできない、だからこそ自分がやる価値のある仕事を求めたのだと思います。
例えばそうして出来上がったイスは、普遍的なイスの要素を備えつつ、どんなイスにも似ていないのです。
家具は生活と密着していなければならないから、必要以上に高価なものとして扱われるべきではない。必ずできる傷やくぼみは、家具としての味わいを深める。(商売取引では、表面にできた傷は「いたましいこと(ディストレッシング)」と呼ばれる。我々の家族では、息子が幼い頃「骨董」家具に傷を付けていた習慣にこと寄せて、それを未だに「ケビンがしたこと(ケビナイジング)」と言っている。)私にとっては、家具が一度も使われたことがないように、その表面が輝いてすべすべしているものほど、魅力のないものはない。
「木のこころ 木匠回想記」P84
そして、家具に対するジョージ・ナカシマのこんなスタンスも、大いに私の気にいるところです。
家具とは使ってなんぼ、傷ついてなんぼ、その傷も家族の思い出としていつまでも残る味わいとなる。そんなおおらかな付き合い方が理想ですよね。
でも、ジョージ・ナカシマの家具って、めちゃくちゃ高いんですけど... 笑
私が欲しい、ジョージ・ナカシマの名作家具
コノイドチェア
ジョージ・ナカシマの代表作です。ほぼ形状が同じローチェアもあります。実はローチェアの方が、家のいろんなところに馴染むかも。
ストレートバックチェア
我が家のダイニングにいかがでしょうか。4脚揃えるとたいへんな金額になるけど、一生モノだしいいんじゃないでしょうか。ちょっと自分と相談します。それにしても、なんという美しさ...
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ジョージ・ナカシマのグラスシートチェア|桜製作所
自宅で使いたいイス。日系アメリカ人二世の木工家具作家ジョージ・ナカシマによる名作、グラスシートチェアです。木匠と呼ばれたナカシマの初期の傑作は、その絶妙なバランスとプロポーションでみる者(私)を捉えて ...
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おしまい
1900年代の大きなうねりに身を委ねながら、木匠という行き方にたどりついたジョージ・ナカシマ。その高潔な精神性と木材への尊敬が、コノイドチェアやグラスシートチェアといった名作イスに注ぎ込まれていることがよくわかります。生涯の付き合いになるかもしれないイスは「こういうものを選びたい」と強く思わせる、必読の名著です。
発行元 鹿島出版会
発行日 1983年5月9日
価 格 2200円(税別)
頁 数 240P
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